愛ちゃんを泣かした15歳の伊藤美誠 [卓球]

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愛ちゃんを泣かしたのは15歳の伊藤美誠だった競れば競るほど面白いと言う頼もし15歳だ”


卓球女子団体3位決定戦で、最後に決めたのは15歳の伊藤美誠(みま)だった。勝利が決まると何度も両手を上げて喜んだ後、涙ぐむ福原愛(27)や石川佳純(23)と歓喜の輪を作った。勝てばメダルが決まる第4試合。ロンドン五輪シングルス銅メダルのフェン・ティアンウェイに、物おじせずに攻め続けた。「競れば競るほど面白い」と言う伊藤美誠は福原愛を泣かせた要だ。

伊藤美誠のハートの強さは何処からくるのか考えて観た。やはり幼い頃からの猛練習が自信につながるのだろう。「競れば競るほど面白い」と言うのだ。福原愛(27)や石川佳純(23)にとりどんなに頼もし15歳か解る気がします。伊藤美誠は「先輩を手ぶらで帰さない」とコメントしていたが有言実行をしたのだ。普通の15歳の子供達は一番遊びが楽しい時だが15歳の伊藤美誠は可なり他の15歳とはことさらに違う要だ。やはり親の教育は大事だなと思うのです♥


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福原愛リオ五輪メダル獲得の影に有る家族の苦悩 [卓球]

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福原愛はリオ五輪でメダルを獲得しました、その陰には家族の苦悩の有りました、愛ちゃんのコメント「苦しい五輪」から苦悩が観えました”


福原愛の母の名前は千代さん(65)千代さんはご存知の卓球経験者であり、3歳で卓球を始めた愛ちゃんに、卓球を教えたコーチでもありました。1日に4~5時間と言われる猛特訓は千代さんは有る意味苦悩だったと推測します、小学6年の全日本選手権を最後まで続きました、愛ちゃんと言えば「泣き虫愛ちゃん」。泣きながら卓球台に立つ向かう愛ちゃんと、厳しい指導する、千代さんの姿を記憶している人々も多いいでしょう。

千代さんは、栄養面でも愛ちゃんの活躍を支えました。愛ちゃんは、大きな大会が始まると緊張と疲れから食が進まなくなり痩せてしまう為に、大会前は体重を増やして臨むことが有るそうです。千代さんは60を過ぎて、調理師の学校に通いました、これも大会や帰国時、娘に差し入れる弁当の栄養知識を増やすためでした。千代さんは愛ちゃんに勉強を教えるときは答えを先に明かしたそうです。考えさせたのは「過程」であり、どう答えを導くのかを大切にしてきました。長年、愛ちゃんに課せられていた問いの答えは「五輪のメダル」と言う事だったのでしょう。


福原愛の父は福原武彦さん父の苦悩も大でした。武彦さんは、1990年から仙台で不動産会社を経営し、家族を支えました。愛ちゃんの練習環境を整える為に他県に渡り拠点を移し、専用卓球場も所有。卓球王国である中国出身のコーチも招くなど、自営業とはいえ資金は容易ではなかったでしょう。経営が上手くいかない苦悩も相当なものでした、武彦さんの負債は膨れ上がりました。やがて国民的アイドルに成長した愛ちゃんが、CMやバラエティ番組に出演し稼いでも、会社の経営は好転せず、結局は倒産の憂きに。債権者から家族を守るため、武彦さんは離婚し、自己破産をしました。この頃は愛ちゃんも道理が解る年齢です。武彦さんは、感情面でも愛ちゃんと上手くいけなく成りました。お父さんは、幼い頃から愛ちゃんのマネジメントを手掛けていましたが、卓球の経験が無いので当然の如く意見の相違な結果が出る事は当然でした。


2008年の北京五輪でメダルを逃した頃から、父娘の関係は悪化し、2008年の年末を最後に父娘が会う事はなくなりました。武彦さんは晩年、秋田県湯沢市の会社に勤務し、平穏な日々を送っていましたが、やがて病魔が襲い。2013年10月、武彦さんは肝臓がんのため、秋田県の病院で亡くなりました。享年71歳。愛ちゃんに見送られることはありませんでした。愛ちゃんは、父の訃報に接し、 父がいなければ、私は生まれてくることもなかったですし、今の成長した私があるのも、多くの方々が応援してくださる環境があることも、父の応援と感謝の念を、コメントしています。人生は皮肉にもリオ五輪のメダル獲得を武彦さんは見る事はありませんでした。

又千代さんもマスコミ報道を気になさっているのか見かけることもなくなりました。以上の事からメダリストやプロ選手を育てる家庭には必ずなにがしの苦悩がつきものと認識するべきでしょう又世に出ないまま終わるアスリートも沢山いるのです!


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